メモ:南氏と為末氏の対談(自分用)

本番はこちらですが(ドキドキしつつも嬉しい初レポ):
http://www.higan.net/news/2013/03/samgha.html

対談自体が本当に面白く、全体的にメモしたものを残す。
聞き終えたあとに清々しいような気持ちが残る対談。
登壇されたお二方、企画されたサンガの皆さま、
彼岸寺の皆さま(は常に)へ、ありがとうも込めつつ~メモ残す~

人は動いているほうが自然で、力を抜いたり休むことが難しい。
(ファッションモデルは指示で動くことに慣れており、うまい)
座禅2日目で、自分の身体の範囲が分からないような
感覚を覚えた。外界との境い目が分からなくなる感じ。
その後の日常が、人生が、どうなるかが気になった。

体験と体験を語ることは違う。体験はそんな対したことではなく
それを自分がどう意味づけて、どう取り込むかが重要。
体験を言語化してイデオロギー化するのは違う。
「自意識は解体できる」
作法があると無駄が省ける

為末さん秋葉原事件の加藤さんの気持ちが分かる
足りなさ×認めてほしさ×手段のなさ
自分は偶然に「走る」という手段があったが
夢は叶わないし蓋は閉じなかった
18歳から指導者がおらず自分1人でやってきた
熱くなれず自分が先に冷めてゆく。たまたま勝っただけ
ある種の価値や信念を常に疑う体質
=無常。よくそれでやってこれたなと南氏

「獲物をとる」「逃げる」以外に走るのは
人間だけ(レースや健康)

何かを喪失して生まれてくるから、とにかく埋めたくなる
欲望により闘争状態に置かれる→目的を煽られ夢と希望で
ヘトヘトになる→さらに餓えと乾き→「解除して良い」
正義は危険。生まれて、しばらくの賞味期限
自分でやってみて手放せた人だけが納得

形式的な議論では「体罰」は解決しない。条件と構造。
「拘束性が強い」「一方的(権力関係)で恒常的」が
揃った時に起こる。即座に中止できるかどうか?も重要。
支配者の価値観であり、自由であることが苦手な
一定の人たちにはGood。「カルト」も同じこと
体罰にも一定の効果はあるが(やる側も高揚)
ダメージ等のコストが高く愚策。
「体罰は駄目だ」と上で決めたものが降りてくる
=その構造自体が体罰と同じ。
ただ止めただけでは善意の体罰が歪んで悪意のいじめに。
そのほうがよほど怖い。スポーツ界からの人材は
「上下関係が徹底」「余計なことをしない」ロボット量産
現代の教育は「どんな人を創りたいのか」という視点がない
自分で創意工夫できる志のある人が必要だ。
そして教師はちゃんと納得を与えられる人でないといけない。
50歳以上に期待しても駄目(成長する経済しか知らない)
むしろ阻害する可能性が高い。
ここからは若い世代のトライ&エラーが重要だ。
失敗させること、失敗を恐れないことが大事。
少しずつ自分の限界を感じながら乗り越えていく
(DQのような一歩一歩のレベルアップ?)
一度カッコにキャラを入れて

「道」それを通じて何かを得ること。
学校教師による音楽・美術・体育は不要だ。専門家に。
第二次世界大戦から概念が歪んだ。
西洋列強に続けという名目の下、教育の中に「軍隊」
オリンピックも甲子園も不要、あんな大騒ぎは要らない。
突然ナショナリストが登場し旗をふり、代理戦争のよう。

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