「仏教」をもって問題を考えられるか。橋爪大三郎/大澤真幸『ゆかいな仏教』トークイベント&書籍


橋爪大三郎/大澤真幸『ゆかいな仏教』
お二方の前作『ふしぎなキリスト教』には色々な批判が飛び交っているのを見つつも「社会学者は今、仏教をどう見ているのか?(&大澤真幸さんのトーク一度見てみたい)」
ミーハーな想いでトークイベント会場に向かい、チケットである本書をゲットしました(* ´ ▽ ` *)。

対談においても書籍においても今作で「仏教」を取り上げた意図について同様の説明あり。この意図が一番大事な部分かと:

・オウム真理教の事件や2011/03/11の大震災で日本人皆が「心の空白」を意識した。人間は弱い。
 →「津波で檀家がなくなり住職はアル中に」という残念で悲しい記事もあったが、創価学会も会館を開放したり、現地ボランティアをがんばっている宗教者たちもいる、ただ、それらの活動は本当に「仏教者だから出来ること」なのだろうか?
・「これ以上進めない」「方向が間違っているのでは」閉塞感を感じる日本人が増えている。
→原因:日本人が自分のルーツを見失っている。「日本人の自己理解に欠かせない素養・教養。仏教、儒教、神道/国学/天皇等の日本文化の三つが織り混ざり日本社会が形成されてきた」
→それなのに、日本人と仏教の関係は変。お経が翻訳されていない。理解しようとしていない。「○○の○ページにはこう書いてある」「○○はこう言っている」「私は仏教まで距離がある」と自ら遠ざけている? 学者も頭を使っていない。


・「我々にとって何が幸福か」宗教は原則を提示できる。
「原発は必要か?」「経済はどうあるべきか?」
 等の疑問に対しても本来は同じはず。

 →仏教以外の普遍宗教は、強力な政治権力@帝国と一体化し継承されたため消えずに残ってきたが、仏教には権力バックボーンがない!(かつ西洋@ユーラシア大陸の西には浸透せず)
=西洋(キリスト教的な感性や前提)を軸にしたグローバル社会が行き詰まっている現在。(資本主義、近代民主主義、人権思想や法/契約の在り方、等々)
「行き詰まっている文明に対して、仏教の発想を検討してみることに価値があるのではないか」

・「仏教」をもって(思考軸として)我々が直面している問題を考えられているか。
→現在「個人的な場面でも社会的・政治的な場面でも仏教の論理や概念をそのまま使って何かを正統化したり、というようにはなっていない」

・普通の人の感覚でも仏教を理解できるようにしたい。
帰依していない人からの問いに対して、仏教者から説得力のある像を出せるかどうか。(信者向けの書籍はとても多く出版されているが……)(すべての経典を学ぶには複雑で難しく時間が必要、飲み込まれないような要約が大事)
仏教の「自己否定的バージョンアップ」が必要に思う。「例え」として信じるかのように行動する等。
(質疑応答にて「浄土真宗はバージョンアップと言えるか?(本は未読です)」と質問したところ「浄土宗/浄土真宗は、覚り率をアップするための進学塾のようなものと捉えている、詳しくは本に書きましたが(以下略)」とのことでした。&後ほど「浄土真宗に触れてくれて良かった」と)
(対談にて大澤さん「(自分と直面していないから)ポストモダンは好きじゃない」)

・世界人類が仏教をどう受け継ぐかということ。
→仏教には現代的で前向きな四つの特徴がある:(1)個人主義的、(2)自由主義的(ドグマがない)、(3)合理的、(4)理想主義的。
徹底的な人間への信頼がある=考え抜けば解決できる! 「人類文化の多様性と平和のためにとても大事」

<仏教の課題/デメリット(弱点)>
・一神教にないパラドックス=「覚った」が分からない。
・「因果」=原因を追いかけるとキリがない。
・出家集団サンガ=在家者に依存、社会全員が出家すると社会は成り立たず。(結局、自分自身のためにだけ=個人主義)
・この世界の真実と言葉の関係。(言葉にすることは可能か?)
→キリスト教のパラドックス「神が人間になった」やイスラム教「誰かのところに神の啓示があった」よりは本来、仏教のほうが有利/合理的なはず。
→それなのに、同じ地域ではたいてい一神教が勝つ。何故?


質疑応答でいくつか質問させていただいたうち、
「仏教や日本文化等ルーツを失っている日本人との話、今後、学校で教育が必要? または違う場?」について
「学校で教えるのは知識の刷り込みだけになり微妙だと思う、単なる物知りではいけない、家庭や地域の中で何となく身に付くのが良い」と回答いただきましたが、
「ん? 『自分のルーツを見失っている日本人』が増えているという社会@家庭や地域において、誰が“何となく”教えられるのだろうか??? 親の教育が必要?」とモニャーンしたことも確か。

まずは本作のような問題提起に触れ、考える日本人が増えれば良いのかもですが、あとは任せた!でなく、社会学の専門家かつ元大学教授(先生)としてあと一歩何か提言できそうなー っとも思いました。

いやしかし、大澤さんのトーク率直で柔らかくて良かったです。うーん。京都大学辞職の理由、本当、人間は何につまずくか分からないなぁ、、、、、
(すみません話がズレましたね〜〜〜)

「キリスト教やイスラム教等、権力@帝国を背景に多くの戦いに関わってきたが、仏教は基本平和」的なトーク部分には
「仏教だって、延暦寺や比叡山、僧兵の存在あり、意外と血気盛んでは?? &日蓮の思想は……」
だいぶ疑問が湧きつつも回答が欲しいわけではなく質疑応答の質問には入れませんでした。(^^:

対談の終わりには「前作は批判多かった……」「きっと今回も……」と素直に苦笑されつつも
「私たちが投げかけた内容や質問に対して
 【この部分は間違ってる】ではなく、もっと
 【仏教はこうです】と扉を開いてもらえるような
 アクションを楽しみにしています」

と仰っていました。確かに、そのとおりだと思う。

と、ここまでが大事な部分かなー。

あとは「仏教の歴史」「仏教者ではない社会学者の自分たちが捉えている仏教像を話してみるネ!」といった、そりゃ一部の熱狂者からのツッコミは避けられないでしょーな企画、内容構成ですので。
(しかしお二方は、本当やりとり楽しそうです笑)

ツッコミではなく、求められるのは仏教の扉かっ!!!


以下は、そんな内容からの部分抜粋です(対談も含む)個人的備忘録なので読まなくてもOKかと。:

<キリスト教と仏教の共通点>
・現在の人間は不完全と突き放している。「罪」「煩悩」

<他宗教と仏教の異なる点>
・仏教にはドグマがない。「ゴータマは覚った」のみ。
→絶対に「ゴータマでなければ」と言えないはず??
 ※ドグマ=神の存在信仰告白……キリスト:三位一体、イスラム:偶像崇拝の禁止、偉大なアッラー、ムハンマドは最後で最大の予言者、等。
・不完全な現在から抜け出る「希望」について。
 キリスト教:「神の力で」。
 仏教:「全部自力で」。(「他力本願」は勉強方法の違い、結局ベースは自力)
・死生観について。
 キリスト教:神が決めるもの、命ある限り務めを!
 仏教:輪廻。(そこからの解脱が目標)
・宗教の起源について。キリスト教:神が人間になった(人物の背景/評伝)。仏教:人間が人間を超えた(論理)。=自力でいける=神に関心ない=人間中心主義。
・ゴール像について。
 キリスト教:永遠の楽園。人間に価値はなくすべて神の支配に代わって実施。※社会/政治/経済(ウェーバー)
 仏教:ニルヴァーナ=死以上の死(欲望を消し消極へ)。

<仏教(仏教用語)をどう捉えているか!>
・仏教は「バラモン以外の階級からバラモンを!」 アンチ・ヒンドゥーが出発点。ヒンドゥー教のスポンジ効果。
・「苦」:人間の生が不完全なこと。内/外があるため。苦から逃げず、勇気と前向きさで向かう仏教。
・「慈悲」=内/外がない(×愛=限界ある)
・「空」=プロセス大事。ゴータマの思想とズレている。
・「唯識」=ポイントを持ち越す仕組み。「現行の種子はアーラヤ識に薫習される」。
 華厳経「三界は虚妄にして、但だ是れ一心の作なり」。 「一水四見」。バークリー「存在とは知覚されること」。→アーラヤ識を認識する主体が存在してしまうのでは??
・人が覚ると(ブッダになると)専用の仏国土が生まれ、そこに飛ばされる。仏国土にブッダは1人だけ存在。そこでの衆生=つまり我々は、主役ブッダの脇役? ブッダの夢の中に生きているようなもの?(華厳経)
・覚りの実態はダルマ?(宇宙との一体化)


そして、本書を読んだ後にゲットした書籍たち:
・中村元『龍樹』(ナーガールジュナ『中論』)
・井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学』
などなど。
「そういえば国柱会(田中智学)に大きな興味を持ちながら、日蓮宗を知らないな私。創価学会のベースでもあるし。うむ」と思い立ち、日蓮宗に関する書籍もいくつかゲットしちゃいました(* ´ ▽ ` *)。 
「ダンシャリ」はどこ行った!!!
(『大日経』『金剛頂経』に関する書籍もゲットしたいにゃ〜)