【気づき】サドルのない自転車に想う



帰省から戻ったら、自転車のサドルがありませんでした。

完全に盗難にあっている。
しかも、サドル。地味だ。

危うく隣の自転車のサドルに目がいってしまうという
「サドル泥棒はサドル泥棒を呼ぶ」
展開になりかけましたが、かろうじて堪えました。

「だって、サドルが無くて悲しい思いを、
 一番知っているのは、私でしょう?!涙!」

その足で警察署に出かけて
「サドル、普通出てきませんよね?」
「誰のか、分からないですもんね?」

と、一応自分でも認識している事項を伝えつつ
盗難被害を訴え、どうすべきか相談したところ

「被害届を出していきますか?それは、
 相手を罰する意思を示すかに掛かっています」

(もう少し難しい言葉を使っていた)

ん?
分かりにくい。
どういうことですか?
と聞いても返ってくるのは同じ言葉。

つまり
多分サドルなので出てこないけれど
自分の被害を訴えたことで満足できるかどうか
気持ち的な問題で、ということですか?


と噛み砕いて聞くと、ウンウンとうなずく警察の方。
言葉がまわりくどい。
だが率直にも言えないのかもしれないなあ。

よし! ここはヒトツ出しましょう!

「出すのに1時間程度かかります」

1時間! なら出しません!

というわけで泣き寝入りの現在、
サドルが無い自転車を立ちコギしておりますが

「座らない立ちコギ」と
「座れない立ちコギ」は結構ちがうもんだね。

最初から自転車というものにサドルが無かったら、
違和感もなかったのだろうか。

「あるはずのものが無い、その衝撃」

その衝撃は、自転車のサドルでさえそうだった。

でも
そもそもサドルが無かったら、
二輪ではなく三輪だったかもしれないなあ
(重心的に)
(二輪自転車は、足2つ×お尻で、三点倒立だからね)

サドルが無い自転車での二人乗りは、
かろうじて出来るけど、少し危険である。
(というか、そもそも二人乗りの時点で×である)

などと、サドルがないだけで
色々な気づきがあることをお伝えしたがために、
賢い皆さんはきっと

「たまにはサドルを外して
遠乗りサイクリングでもしてみるかあ」

などと思いついてしまうんでしょうか。
心配です。

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