この本は明確に『伝えたいこと』を訴えてはこない。だからこれは私の感想であり私の読後感である。
主人公の『偉大なピアニスト』とされているライダーはある街を講演で訪れる。そこで出会う人々は、いつか会ったことがあるような幻想のような。それぞれ心に悔恨や望みを抱え、その人々の過去や思いが夢や走馬灯となってライダーに呼びかけてくる。
ライダーにも『自分の義務や願望』があるはずの中、 周囲の願望・行動に巻き込まれ、翻弄され、何が進んでいて何が進んでいないのか……それでも時間は過ぎていき、周囲はそれなりに動いていく。
ゾフィーのセリフが残った。
あなたもほかのみんなと同じなのね。まるでこの世の時間が永久に続くみたいに行動してる。あなたは時間がどんなに限られているのか、分かってない。あたしたちには、もうあまり時間がないのライダーにはその言葉さえ時間の妨げだと映っている(そう忠告するゾフィーも自分の問題解決には躊躇し続けている)。しかし、そんなふうにライダーは事ある毎に苛立ちを感じるが、次の瞬間には 『忘却』というリセットが入ったように、何が起きるわけでもなくまた翻弄されながら、平然と話は進んでいく。
読んでいる私の中でも走馬灯はまわりだす。走馬灯、ある日記を思い出す。私的に『名作』と感じており原文見せしたいぐらいであるが、怒られそうなので引用にしときます(笑)
過去に起こった悲しいことはすぐ忘れ、 楽しかったことは記憶に残り。もうひとつの走馬灯、リセットに関して昔、友にもらった優しい言葉も思い出した。
起こした過ちも失敗も悲しいことも、 すべて忘れるから同じ過ちを犯す。
起こした過ちも失敗も悲しいことも、 すべて忘れてるから毎日気分は軽やか 、心は前向き足取り軽く。 がっかりしつつもそんなことはすぐ忘れ。
わかってるつもりで全然わかってない。
何回同じこと繰り返してるのかわからないほど繰り返して。 何回空しい気持ちになってるのか。
次こそは、と思ったことも忘れ。3度目の正直も4度目5度目。2度あることは10度以上ある。
毎朝毎日生まれ変わって初心に戻りすぎて1日。
ばかは今日も幸せだ。
人間は忘れることが出来るってことを忘れたのか?忘れるから生きていかれる。作者本人、カズオ・イシグロさんのインタビューも思い出した。
「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。」
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html
「悪夢」とは、そのように生きてしまうことであり、ふとした瞬間にプライオリティを違えてしまうことだろうか?
自分以外の人生に関わるにも、それだけの時間を費やす必要が生じる。そこにはプライオリティが発生する。
今は今、『そのうち』は今にはならない……そして、それでも、忘れていけるのだろう。
この本には沢山の人物が出てくる。皆、それぞれに歪んで見える。だが、1人1人をよく見ればその中に私もいて、そしてあなたもいるかもしれない。色々な走馬灯と共に、そう思った。
前社の同僚と、次の道を祝して久々に集った壮行会。何だか不思議な感覚だね。あの頃、変わった? 変わってない! 変わっていて変わっていない。でもあの頃は今より少し若かった。そして今、あの頃より少しずつ進んでいる皆がいた。
「またね!」
は、実際いつになるか分からない。
「またね!」
「またね」があって欲しいから言う。道は交差するかしないか分からない。でも出会えて良かった。皆、それぞれの道を選んで、踏みしめて、翻弄されながら生きていく。