残すところ1科目(「社会的養護」「教育原理」のニコイチ)で専念して勉強、余裕こいていたものの、テスト終了後は「教育原理あかん……! なんじゃあの問題……!」 呆然自失。しかし、ギリギリ合格したと思われます。自己採点。
さて、筆記試験が終わり、色々「やりたいけど後回し!」していたことに少しずつ着手中。
マンガ?花さん成長記?を描くことも「やりたい」の1つなんですね〜〜〜笑。とりあえずこちら。
それから、夢中になり過ぎるから読むのを我慢していた「保育士おとーちゃんの子育て日記(ブログ)」を全網羅すべく、過去記事から読みに読んでいます。
子育て方針も、国の保育政策に対する意見も、全面同意。お会いしたいなぁ。お話を聞く場を設けたいなぁ。
ちゃんとした感想はまた後日(全網羅してからね……←やる気)。
9/5、6のどちらかで、たぶんオヤタマゴカフェ名義での?親子ピクニックも思案中。
何だか分からないけれど私は昔から、無茶ぶり風味な「特に繋がりないメンバーが混合している会」をするのが好きなようです。
飲み会もしかり、実家庭BBQもしかり、親子ピクニック等もしかり、、、(もう少し紹介等をすべきではあるが汗)
オヤタマゴカフェの理想像もしかり?
そういえば下記を読んで「おやたまごかふぇー!」と思いました。
日本では「違いを意識する」経験が、あまりできません。
例えば、「独身の会社員」が
「初めての赤ちゃんを持ったばかりのお母さん」と
知り合える場は、ほとんどない、のです。”
(赤ちゃんが泣くのはだれのせい?|ニュージーランド子育てコミュニティVOL.02)
大人になるにしたがい仕事趣味年齢等セクターごとに人間関係が分かれてそれぞれ島宇宙化してしまう、それは効率的なのかもしれないけど、でも、それって全然「多様性の受け入れ」じゃないよね。
「多様性を見て見ないふりして受け入れてない」だ。
↓この記事にも大共感。
親が、子供同士の豊かな交流を妨げるのである。
「うちの子はあなたの子に怪我をさせないようにするから、
あなたの子もうちの子に怪我をさせないように、
最大限のリスクヘッジとして、ここは別々に遊びましょう」
ということだ。
短期的には達成感を得ることはできない親は、
「我が子」という作品を長期的に“製作”することによって、
達成感を得ようとしているのではないかと思う。
とにかく安全に、いい高校・いい大学にいかせて、
いい就職をさせる。
そうして、「我が子」という作品は達成される。
(赤ちゃんにやさしい国をつくるために、他人の子どもを愛することからはじめよう|子育ては社会でシェアする VOL.01)
後段、こんな寂しい達成感(親子双方にとって)が世界にあふれたら、切ない。子どもは作品なんかじゃない。
改めて書籍『子どもを「人間としてみる」ということ』の一読をアチコチにお勧めしたくもなってきます。
保育士試験では、その内容/在り方にも改めて疑念を持ってしまいましたね〜。
まだ正式発表ではないですが、次は実技試験だッッ!
手がかりを1つずつ掴んでいきたいです。
保育士資格という手がかりを得ること出来たらどうしていくのかも、少しずつ少しずつ考えていこう……