(Commons.Jp寄稿)子育てと仕事(1)私はあの時、“親”という存在に優しくなかった|コロガルオヤタマゴ VOL.08


(Commons.Jpサイトに寄稿した内容です)

ついに自分の中での「本丸(?)」を攻める時間がきました。
子どもが大きくなったら、親として育っていったら、本丸は別に動いているかもしれません。しかしオヤタマゴになってから現在までにおいて、最大の衝撃はこれなんです。



出産して知った葛藤……仕事もしたいが、子どもと離れたくもない。
最近よくある話ですが、筆者は「子どもが産まれるまでは“仕事バリバリ人間”」の女子でした。
転職に向けた退職交渉の最中に妊娠、無職で出産に突入。出産前日まで「出産したらすぐ働くよー!」 家族にも周囲にも熱弁、周囲が若干ひくほどでした。
ところが、産まれてみると……
「子どもと離れたくないです」
何だこの気持ちは…………それは恐ろしい変化でした。ある意味、恐怖です。これまでの価値観が一部、崩れたのが分かりました。

あの時きっと、私は“親”という存在に優しくなかった。
価値観が崩れると共に、出産前の自分に対して大きな悔やみが2つ、心に立ち返ってきました。
ひとつめ。
筆者がバリバリ働いている頃、職場に「産休明け復職ママ」が登場したことがあります。産後数ヶ月で残業当然の忙しい職場、保育園お迎え後にコッソリ赤ちゃんを連れて戻る日もありました。
それでも終わらない仕事。
当時の私は、時々彼女の手伝いはするものの「自分で受けたんだから自分でやって欲しい、子どもがいて出来ないなら無理と言うべき」 そんな気持ちを根底に持っていました。
彼女の横で私は仕事をこなし残業もいとわず、……いつか私も、子育てと仕事の狭間で葛藤する「働く親」になる可能性があるにも関わらず…… ある日、彼女は離職を決めました。もちろん職場の方針もありますが、その「復職ママ」の首を締めていたのは、同じ女性である私でもあったように感じるのです。
(「男なみ発想」女性の出産後退職や女性同士の対立については、中野円佳『「育休世代」のジレンマ』にも実際のインタビューに基づいた興味深い内容が書かれています)
もうひとつ。
その片側で、仕事人間だった私は、子どもの産まれた幼なじみに「仕事はどうするの?」「仕事したほうがいいよ」と、子育ての大切さなど何も考えていないような発言をしていたんです。
恥ずかしいです。子育ては最大の社会貢献なのに……(現代において社会と子育てが分断されて見えるのが問題ではありますが)。幼なじみは「でも可愛いから」と困り眉で笑いました。今は気持ちが分かります。
子どもと離れたくない。
もちろん子どもといるのも楽しいばかりではないけれど、成長をそばで見ていられるのは限られた時間。
私はあの時、“親”の感情や状況をまったく理解できておらず、“親”という存在に優しくなかった、そう思います。

……でも、個人としても「何か」したいんです……。
「それならば子育てに専念して、専業主婦でいいじゃない」と言われそうですが、でも「何か」もしたいんですよね。
昔は教育も選挙権もなかった女性が、先人たちの努力により、男性並みに働くことまで出来るようになりました。
社会進出を経験している現代の女性、個人の能力を社会で発揮することの意義や達成感も体感しているのです。
子育てと並行して「何か」をしたい、ワガママかもしれません。でも……先人たちの努力を無駄にせず……さらに今の親が抱えている葛藤の対策を未来に……
「子育てと仕事」続きます。