アン・マリー・スローター『仕事と家庭は両立できない? 「女性が輝く社会」のウソとホント (原題:Unfinished Business)』
ヒラリー・クリントンの任命で女性として初めてのアメリカ国務省政策企画本部長、「仕事バリバリでも家庭も両立できる!」と、輝かしいキャリアの道を歩んでいた著者のアン・マリー・スローター。
しかし、問題行動の始まった思春期の息子たちの姿に「子供のそばにいたい」「女性は仕事と家庭は両立できない」(といってもプリンストン大学教授に戻ってるんですけどね)……これまでの自分を否定し、そこから様々な事例にあたっていく著者……「女性は、なのか?」
私も完全に、著者の気持ちに寄り添って読み進めていました。分かる……分かる……そう、「男性並みに働きたいし働いてるぞ!」 仕事人間だった自分の価値観や認識がガラガラ崩れる、その感じ、その気づき。
男女同権を目指すためのフェミニズムという思想活動があります。まずは、女性の選挙権を得るために闘った第1世代のフェミニズム。第2世代のフェミニズムは「女性は産み育てる道具ではない!」社会的な男女平等を求める闘いでした。それはつまり「男性社会に女性が入っていく動き」とも言えます。
夏の初め、Women's Innovationという女子高生の活動イベント[未来の働く女性のために私たちが出来るコト]に少しだけお邪魔してきました。(彼女たちは「結婚・出産と女性が経験しうるもの」をテーマに、乳児・幼児教育+女性の社会進出の視点から社会を研究している、とのこと。高校生の年齢で、素晴らしすぎます)
そこで登壇されていた方が「最近の若い女性は『両立は大変そう』仕事をセーブする傾向と聞くが、女性はもっと仕事してトップになって、ルールを作る側に進むべき!」と鼓舞されていましたが、私はどうも斜めに見えてしまっていました。「この方も女性の権利のためにがんばってきた方、でも、方向性や感性がひとつ前の世代のように感じてしまう……」
今これから始まろうとしているのが、フェミニズムの第3世代。「女性社会に男性を迎え入れる動き」。この説明で色々がしっくり来ました。
これまでの長い歴史で女性が、いわゆる「専業主婦」的に全面で請け負っていた家事育児介護、人の世話をすること——「ケア」に関する価値観や認識が、女性が男性社会に入っていった時に、取り残されてしまったこと、それが問題を起こしているのです。
物理的な世話なら、誰にでもできるかもしれない。「ケアする」ということは、お世話される人に人生を楽しんでもらい、その人がその時点でできる力を最大限に引き出すことだ。男性社会を皆それぞれの利益を追求する「競争心」で成り立っている社会と仮定するなら、女性社会は他者を自分より優先させようという「思いやり」で成り立つ社会とも言えます。「自分が勝ちたい」「自分が勝つより誰かの成功を助けたい」 人間は競争心も思いやりも、双方を持っています。
今起きているのは、女性の問題ではなく「ケアの問題」、「ケアの価値が過小評価されている」ということ。「誰がそれをやるか」は関係ない。(過小評価されていないと思う方には、『パーティーで出会った人に「投資家」と自己紹介するのと「教師(またはベビーシッター、介護士)」というのでは、相手の立ち去る時間が変わる』という著者の話をどうぞ)
介護も育児も、ケアは先が予測できず、とにかく見守る忍耐力が第一ですが、競争に関わる仕事はある程度、自分で目標を立てられ、結果も見えやすく、達成感を得やすいものです。だから「競争」に人気が出るのは、自分の実感としても分かります。しかし、人間を「競争」の面だけで評価し続けることはどうなのか。
たくさんお金を稼いだ人や、他人をやっつけて組織のトップに昇った人が自動的にお手本とされるのはなぜかを問い直すべきだ。
「何時間働いたか忙し自慢する人がいたら、最近どんな本を読んだか、いい映画を見たか、仕事以外で大切にしているものを聞こう」「すぐに『お仕事は?』と聞くのはやめよう。何に興味があるか、人生で何に情熱を持っているかを聞こう」競争以外の価値を、ケアの価値を取り戻す。そして、かつての女性社会に男性をいざなう。男性社会と女性社会が完全に混ざった「男女同権」の基盤の上で、改めて男女が個々の生き方を話す。フェミニズムが解放される瞬間かもしれません。
女子にも男子にも平等に教育を与え、どちらにも同じ夢を持つよう励まし、経済的に充分自立するよう促すのはもちろん大事なことだ。だからといって、人をケアする仕事、安定した家庭を築くことが大切でない、と伝えるのは間違っているし危険だ。
男性の社会に女性が入っていった時のように、男性を受け入れる。仕事を手放す。女性と「同じように」ではなく、男性は新しい彼らのやり方でその役割を作り直すだろう。こだわりも期待も色眼鏡も捨てたところに、可能性に満ちた新世界が待っている。……結論めいた部分ばかりに触れてしまいましたが、「必死に仕事に打ち込めば」「協力的な相手と結婚すれば」両立できる? どんな基準と責任分担で? 「順番を間違えなければ」両立できる? 出産タイミングは計れるか? ……などなど、色々な説(とその論破)や事例も読み応えありました。
私も著者と同じく、「ある程度のキャリアを積んでから子育てに入るとやりやすい」ように感じていますが、そうすると高齢出産というリスク、多くは産めない可能性、体力や余生の少なさ、何より、そもそも子供は授かりものなので……
「もしお互いが転勤の多い仕事についたらどうする?」「もし子供に障害があったり、思春期で気難しくなったらどうする?」 パートナーとの事前の対話が大事、という箇所は、話しておくのも大事だけど、そういうことでもないんだろうな、とも思いました。そもそも出産は「DNAが叫んでるんだ!」 ただただ、DNAに操られている気もするので。 対話がスムーズなパートナーだから産もう、などと論理的な脳で判断できるのか、半分疑問です。
最も同意できなかったのは「産んでも仕事をやめないほうがいい」といった箇所です。著者の思いを汲み取れていないだけかもしれませんが、「やめても再開できる」を担保できる社会が必要なはずです。仕事をやめない人が大部分になってしまったら、子供たちのケアは……決して、ケアの価値が上がってケアの仕事をする人たちが他で増えたらいいよね、という話ではないはずです。誰もが、ケアも選べること。
ケアは大変な仕事ではあるが、与えると与えられる。子供たちとハメを外す喜びは、ルールに抑制されていた自分をしまい込み、封印されていた自分が開放される瞬間でもある。ある日、夫が大げさに「冷蔵庫の中に虎がいる!」と言った。息子たちは大はしゃぎした。夫は超がつくほど合理的な大学成就でいつも仏頂面をしている。その夫が、誰にも見せたことのない一面を見せたのだ。(目に浮かぶ、著者家族の微笑ましい光景)(本の中で著者も「そういえば私は息子には家事を覚えさせようとしていなかった」など、まだまだ自分のバイアスに気づかされると書いていました。それは当然、私にもあります。きっと誰にもあります)
オンデマンド経済、シェアリング・エコノミーやオープンワークといったキーワードにも触れつつ、最後に「良質なケアの市場も必要だが、もっと幅広い意味の経済全体にケアの取り組みを反映させるような取り組みも重要だ」「人間関係という社会資本や、育児を通して生み出される人的資本をどう測っていったらいいのか、その数値が社会に還元されやすいようにするにはどうしたらいいのか」 競争とケアにどんな関係が導き出されるか……これからが楽しみです。
私が呼びかけているような変化を起こし、人生をより良いものにするには、力を合わせるしかない。個人だけでは変化は起こせない。集団で政治的な力を発揮しなければ、体制は変わらない。これまでも、私たちはそうして変化を興してきたし、これからもそうできるだろう。日本だけでなく、アメリカの人々も同じ悩みを抱えている、そして、中国でも……↓↓↓ 私も、旦那くんの家事育児にイチャモンをつけないところから(器の小ささ)、同じ悩みを持つ仲間と集うところから、自分のバイアスを外していくところから、ちびちび進んでゆきましょう。
2017.9.21 中国で一人っ子解禁後も出産しない女性が増えている理由(ダイヤモンド・オンライン)
結婚後の出産に関しては「重大な決意」で挑むこととなります。産休中は収入が減少する上、これまでやっと上り詰めたポストに戻れるかどうか、営業の場合は顧客が流失しないのか、今後の出世の道に影響が出ないのか。子育てが終わって数年後の自分は、社会から取り残されるのではないのか…など、心配と不安が交錯します。
(中国でも)「子育て」と「仕事」の両立はとても難しい状態なのです。子どもは3歳まで幼稚園に入れません(中略)多くの中国の人たちは0歳から預けられる保育園があると聞くと、驚きます。「日本には専業主婦が多いのに、こんなに便利なものがあるとは意外だ、羨ましい!」と口を揃えます。
ある20代の女性がSNSで、「なぜ子どもを産みたくないのか」と投稿したことで、たくさんの同世代の女性から多くの支持を集めて話題となりました(中略)「人生は短く一度きりだから、まずは自分を一番に大事にしたい」と強調。そして、「『子どもがいない女は寂しい人生だ』と思うこと自体が時代遅れだ」
今後の中国を見る際に、日本と同じく人口減少問題は欠かすことのできない視点であることは間違いないと思います。そして、日本の「こうじゃない」感 (ケアの価値とは……)
2017.9.18 幼稚園で2歳児受け入れ 長時間の「一時預かり」枠新設 待機児童解消へ文科省など認可方針
政府は平成32年度末までに待機児童をゼロにする目標を掲げているが、今年4月時点で約2万6千人に上り、0~2歳が9割近くを占める。このうち2歳児であれば幼稚園児と年齢が近く、活動になじみやすいことから、受け入れが可能だと判断した。
保育士を新たに多数雇用しなくても運営できるよう検討する。(髪の毛をかきむしる) 政治の現場からケアが遠すぎるんだ