ということで、
ゴッコ遊びの中で子供への「HUGっと!プリキュア」の影響について考察する
花「ヒーローと悪者ゴッコしよう。このクマは、ヒーローのふりをした悪者だよ」
!ここに影響! 「実は悪」「実は正義」的な裏切り展開への憧れが生じている。(そして本当はみんな悪ではない性善説的思考)花「そして、このクマは、本当は悪者を辞めたいの……そこに悪者の社長がやってきました。中ぐらいの人も来ました」
!ここに影響! 悪者に「社長」「中ぐらいの(役職の)人」「下っ端」という階級の概念が生まれている。私@中ぐらいの人の役「悪者を辞めるなんて許さないぞ!!!」
花@正義の役「そう、あなたも自分の思うとおりにしたいよね? でも、自分の思うとおりにしたいのは、 このクマだって同じだよ。みんな、同じなんだ!!!」
!ここに影響! 自由の相互承認/多様性の受容が花開きつつある……(盲いた婆は感涙)
!ここに影響! あと「〜〜〜なんだ!!!」とか「私が守る!!!」「諦めない!!!」とか、決意や決め台詞を強く発したいようである。私@中ぐらいの人「社長! あんなクマやっつけましょう!」
花@悪の社長「いいよいいよ〜 抜けていいよ〜 自分の思うとおりがいいさ」
!ここに影響! 中間役職の人のほうが組織に忠実で、社長は意外と軽い。花「クマは悪者をやめてヒーローになって,休みをとりました」
私「!?」
花「ヒーローは遊んだり休んだりできるけど、悪者はずっと働いてるからね……」
!ここに影響! 悪者のほうが仕事熱心。なんという真実……(参考:鷹の爪団)花「♪風の中〜 ひとり歩いていた〜 冒険したいと思う気持ち〜 キラキラ輝く夢を抱きしめて〜 夢はきっといつか〜♪」
!ここに影響! 話の途中でも突然の挿入歌。何が影響で何が影響でないか分からなくなってきましたが、やっとトークを書き記せた……少しでも……。
日々楽しかったり考えさせられたりするトークが連打されておりますが、連打の中で意識朦朧としてきて最終的に喧嘩してたり記憶オールクリアされてたり、常にメモ帳を持ち歩かないとな……(そんな親はいやだった)
【おまけ】「22話」放送時の独白:
「プリキュアかぁ……早く娘ちゃんセーラームーンに入れ込ませねば……」と思っていた私だが、HUGプリの展開に揺らぐ昨今。
19話の「男の子だってお姫様になれる!」に続き、22話の「私はあなたが好きではありません。でも、あなただって何でもできる、何でもなれる。(応援します)」
……なんという多様性と承認じゃ……子供たちよ、わしのめしいた目の代わりに……(濁涙)