リアルの耐えられない軽さ


朝Twitterで驚いた流れが2つ。

◆佐世保女子高生による殺人が、実況されていた?(※後に釣りと判明)
◆「速報:野々村死亡!ww」と、命に対する敬意ゼロなデマを流し&RTする人たち。

それぞれ背景は分からないけど、朝の段階で
「なんだこの命に対する軽さは……」
「ネットの悪影響か……」
とショック受けて思ったことを書いてみる



大人が「いいね!」「ファボ」乞食していたら
そのうち子供だって真似して
そういう行動や価値観が基準になってしまいそう。
価値観は人それぞれだけど、私は
「誰々と会って楽しかったよー!」って写真は
載せたくないと思っている。
楽しいという思いは
その会った誰かとその会った時に共有できれば良くて
それ以外に共有する必要は、基本ないかなと。
(「PR」「ブランディング」の観点があったり、
 オススメ情報があったり、
 感動して共有したくなるエピソードは別、、、
 判断甘いw)

「そのアップは必要ですか?」と一回考えたらどうかな。

「いいね!」「話題入り」すればなんだっていい。みたいな。
例えば先日、新宿で「焼身自殺未遂」があった時、
見ていた人たちの多くはスマホで写真をとろうとしたと。
自殺を止めるでもなく誰かを呼ぶでもなく。
そしてその光景がYoutubeやTwitter、FBにアップされていったと。
だんだん皆の反応を求め始めてしまって「いいね!」欲しさに
子どもを毒殺した海外のニュースなんかもそうだし
「同じ席に座りながら別々にスマホをいじっている人たち」
この光景は私も結構やってまうので反省しつつ、
こういうのもリアルの軽さを助長しているような気がする

ちょと前に感じた「ネタ化する日常」でしょうか、、、

そういった価値観/行動によって、「今ここにあるリアル」
への感覚が擦り減っていくのではないか。

「カツアゲ現場みたが怖くて注意できないから撮影した!」
(分かる)
→「Twitterで『カツアゲ見たなう』と写真付きで呟いた」
(ちょっと分からない)

「子供を遊園地につれていったら『楽しい!』と喜んでる!」
→「子供が『楽しいから写真とって!』と言う」
(分かる)
→「子供が『楽しいからFacebookに写真アップして呟いて!』と言う」
(ちょっと分からない)

あとプライバシーの観点もある、「意外と色々すぐ特定される」
のがネットの怖さでもある。

本来は、大人が正しい見本であるべきだけど
ネットとの付き合い方、リアルとの関係は
やはりちゃんと子どもたちに教えたい。
教える……「この方法でいいね!が稼げる!」とかでなくねw
まぁ子どもたちのほうがデジタルネイティブで
大人より逞しいかな。。。だったら良いけど!

子供の価値観や未来、育ってみなければ
その世代の傾向とかもわからないかもしれないけど。

以上、朝の段階で思ったことでした。

結局、佐世保のネット実況は釣りのようだし、
ネット関係なく周囲の愛情の問題なんかな、、、
アニメは関係ないよねぇ、、、続報気になります

そしてTwitterで「教育に活かせそうな諭し方だ」
と思ったのは以下:

「野々村死亡説のデマツイートをしてるやつがいるけど、
 悪いことをしてると諭すより、
 その発想・行動・センスが物凄くつまんなくて
 スベってることを教えてやった方が効くと思う」

コンビニのアイスケースに入っちゃう事例にも
(ただ周囲がセンスなくて賞賛しちゃうとアレ)