浄土真宗の法話


最近のブーム:浄土真宗の説法を聞きに行く

 客先の近くにお寺がある。
 ある夕方、そこを通りかかったら、看板が。 
 「法を語る夕べ・今夜」

 戸惑いながら入ってみた。
 参加メンバは10人強で、平均年齢は70歳。
 あとで説法をしてくれる先生も80歳以上??黒板に書く手が震えてる。
 しかしシニカルな先生で面白かった。

 「あなたたち、お経読むのうまいけど、
  よくぞスラスラと読めるねぇ~!
  『人間は愚かです』ってお経に書いてある意味、
  分かって読んでる?w
  我に返って読むのにつっかえたりしないのが不思議ですよw」

 「最近、皆夢見てる?昔はたくさん夢見たでしょw
  仕事で出世するぞ~!とか、良い結婚するぞ~!とか、、、
  最近どう?
  反省ばかりしてちゃダメですよ。
  夢見るのは大切なことですからね


 「他人は目に見えるからよく分かる、
  自分は目に見えないから把握が曖昧、
  だから自分は大丈夫だとか勘違いしちゃうんです」

 「1方向から見ただけで全てを判断するのはやめましょう、
  間違った思い込みを伝えるのも悪ですよ」


 もっと笑ける感じで、口調もあたたかく茶目っ気たっぷりな感じで、
 真面目な説法や仏教の話もしてくれたのだけど。

 私よりずっと年長者の方たちが、真剣に聞いたり笑ったりしている。
 なかなか感じるところの多い、深い光景であります。

 次回の先生(別の先生)の法話にも行こうかと思うぐらい面白かった。


 大乗仏教というのがなぁ・・・・・
 誰でも来たら幸せにするぜ!より、感じた人をとことん幸せにするぜ!
 =密教のがステキ!と思うこの頃。
  (勉強中なので間違いあれば失礼)


 最後の【自由質問の時間】に誰も質問しないのが不思議だった。
 ずっと年上で、気さくな空気感のある方たちなのに、なぜ!!!
 質問がないだけ? なんだか、先生の存在や時間が勿体ない・・・・・
 参加して集まることに意義がある、的な場の雰囲気を
 最後に感じて寂しい。
 (先生やお寺の住職さんは「どうすべー」的な柔らかい笑顔だった)


 ということで、ハシモト、心に湧いた質問をぶつけてみました。

 「1方向からの印象だけで判断しないよう、未熟者ながら心がけています。
  ただ、そうやって自分に対して色々心がけを実行することによって、
  ますます【だから私は大丈夫】と自分への奢りが出てしまうとしたら、
  その気持ちをどうすればいいのでしょうか?」

 先生の回答

 「自分が愚かな人間であることを忘れないこと。
 自分以外の周りの全ては、
 自分に何かを与えてくれる、仏ですよ
。」



それから、行ける機会には足しげくお邪魔しています。

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