In An Uncertain World:最初に「共に」がある。自立より、共生が先だ。一人では揺れられないから。


「真ん中だ。」

に強く賛同。

中道を行く、でも……ただ単に「真ん中」ではなく、生きて、生きて、上下、左右、揺れて、揺さぶられてこその「真ん中」。

むしろ、揺れの存在が大事…… ずっと思っていることを、最近またシミジミ感じている。


東京に行ってすぐ、出会った大好きな友人が「最近は般若心経の写経にハマっている」「悲しみや怒りが消えてめっちゃいい」とウキウキしていた。

もうしばらくして「アレはヤバいです、喜びや希望すら消えていく」 最高にクールな感想と共に、筆を置いていた。

自立より、共生が先だ。

一人では揺れられないから。


冷静に真ん中にいるのではなく、揺れて、揺られて、片側に寄りそうになって、それでもまた真ん中にいる。その全てが大事なんだろう、上にいること、左にいること、「揺れないこと」が大事なのではなくて

揺れること

真ん中を日々感じながら、揺れる

揺れることで生が立体的になり でも揺れて何かを目指すのではなく 揺れた末に「揺れる環境下では居心地の悪い」真ん中に戻る

もっと色々脳裏に浮かんでいるけれど

一緒に揺れよう、一緒にロックしよう、よく見たら私のメールアドレスもそう叫んでいた。

10年前に萌えていたルービンも、著書『不確かな世界で』の中で
【この不確かな世界で私にとって唯一の確かな存在である妻ジュディに捧げる。】
アニメ「ノエイン」でも語られていた「観測されることで存在が定義づけられる」(シュレディンガーの猫やウィグナーの友人) そんな不確かな世界だから、蓋然性を高めていくには他者が必要なのだ、とルービンも言っていた。

最初に「共に」がある。

「共に」があるから「揺れることができる」「揺れて真ん中を失うことができる」

そこからの、真ん中だ。

不確かな世界という概念は仏教にも通ずるなぁと

In An Uncertain World 🥺

すべては波だから

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